はじめに——「undruggableの王」RASが揺れている
長らく「創薬不可能(undruggable)」と呼ばれてきた RAS タンパク質。表面が滑らかで、低分子が掴むポケットがほぼ無い——この常識を最初に破ったのが2021年承認の sotorasib(ソトラシブ、商品名 Lumakras)と2022年の adagrasib(アダグラシブ、商品名 Krazati)でした。しかしこの2剤は、KRAS変異の中でも「G12C」というたった一つの変異にしか効きません。
そこに登場したのが、Revolution Medicines が開発する ダラクソンラシブ(daraxonrasib、開発コード RMC-6236)。ソトラシブとは戦略が根本的に違います。OFF状態ではなく ON状態を狙い、共有結合ではなく molecular glue(分子糊) で攻め、単一変異ではなく 複数のRAS変異を横断して効く。設計思想として全く別の薬です。
本稿は薬剤師(博士(薬学))の立場から、その分子設計の美しさを解剖します。なお ダラクソンラシブは2024-2025年時点で世界的に治験段階、日本未承認である点を最初に強調します。
第1章 既存KRAS G12C阻害薬のおさらい——OFF状態狙撃
RASの基本サイクル
RASはGTPaseの一種で、二つの状態を行き来します。
| 状態 | 結合分子 | 活性 | 下流シグナル |
|---|---|---|---|
| ON | GTP | 活性型 | RAF→MEK→ERK 等を起動 |
| OFF | GDP | 不活性型 | シグナル停止 |
正常細胞では GTPase内因性活性とGAP(GTPase activating protein)によりGTPがGDPに加水分解され、適切にOFFに戻ります。ところがG12C等の変異RASはこのOFF化が遅く、ONに偏りやすい——これが発がん駆動の本質です。
sotorasib / adagrasib の機序
両剤とも以下の特徴を持ちます。
- GDP-bound(OFF状態)の KRAS G12C に結合
- switch II 領域近傍の 新規ポケット(switch II pocket, S-IIP) を利用
- 変異により出現した C12のシステイン残基(-SH) に 共有結合(covalent) で不可逆固定
- 結果としてGTP再装填を阻害し、ON状態への遷移をブロック
なぜG12Cで効くのか——時間の隙
野生型RASより遅いとはいえ、G12Cでも内因性GTP加水分解は一定速度で進行します。つまり一過性に OFF状態が生じる時間窓 が存在し、そのタイミングで阻害剤がアクセスし共有結合を形成できる。「OFF状態は隙の少ない瞬間に過ぎないが、不可逆結合なら一度捕まえれば離さない」——これがG12C阻害薬が成立した薬理学的根拠です。
限界——他の変異には使えない
このストラテジーは 「12番目のアミノ酸がシステインである」ことに完全依存します。
| 変異 | 12位残基 | 共有結合戦略 |
|---|---|---|
| G12C | Cys(-SH) | 可能 |
| G12D | Asp | 不可(求核性なし) |
| G12V | Val | 不可 |
| G12R | Arg | 不可 |
| G13D | Asp | 不可 |
| Q61H/L | — | 12位非変異 |
膵がんで最頻のG12D・G12Vはこの方法では撃てません。ここに次世代の必要性が生まれます。
第2章 ダラクソンラシブの戦略——ON状態を分子糊で撃つ
Revolution Medicines のコンセプト「RAS(ON) inhibitor」
ダラクソンラシブは GTP結合ON状態のRAS に直接働きかけます。しかも単独では結合しません。細胞内タンパク質である cyclophilin A(CypA) をリクルートし、RAS-RMC-6236-CypA の三者複合体を形成して初めて機能します。これが molecular glue(分子糊)の概念です。
三者複合体が作る「人工的な界面」
| 要素 | 役割 |
|---|---|
| RMC-6236(薬本体) | CypAとRASの両方に結合する二価分子 |
| CypA | 細胞内に豊富に存在するイムノフィリン。薬と複合体を作って初めてRASに親和性を獲得 |
| RAS-GTP(ON) | 三者複合体の表面が、RAFなどエフェクター結合面を物理的に被覆 |
つまり、薬単独でも CypA単独でも RASを抑制しないが、3つが揃うと 新規な結合界面(neomorphic interface) が生まれ、ON状態のRASからエフェクター(RAF, PI3K等)が動員できなくなる。これが ON状態でも撃てる仕組みです。
マクロサイクル骨格——医薬品化学的ルーツ
RMC-6236は大環状(マクロサイクル)構造を持ち、骨格的には免疫抑制薬の タクロリムス(FK506) や シクロスポリンAと近縁です。これらも CypA や FKBP といったイムノフィリンと結合して機能する古典的 molecular glue。Revolution Medicines はこの数十年来の知見を、抗がん領域に転用したと言えます。
| 薬剤 | 結合パートナー | 標的複合体 |
|---|---|---|
| シクロスポリンA | CypA | カルシニューリン |
| タクロリムス(FK506) | FKBP12 | カルシニューリン |
| ラパマイシン | FKBP12 | mTOR |
| RMC-6236 | CypA | RAS-GTP |
歴史が一周して、免疫抑制薬の構造がRAS創薬を解いた——分子設計の美しさがここにあります。
第3章 なぜ「multi-selective(多重選択)」なのか
結合面の選び方が運命を分ける
G12C阻害薬は switch II領域の変異特異的ポケット を使うため、一つの変異にしか対応しません。一方ダラクソンラシブは switch I/II領域とは別の、RASの保存領域(CypAとの界面) を利用します。この領域は KRAS / HRAS / NRAS、そして G12D / G12V / G12R / G13D / Q61H / Q61L などで保存されているため、一剤で広範囲をカバーできるわけです。
カバー範囲の目安(前臨床・初期臨床報告ベース)
| RAS変異 | RMC-6236の活性(報告レベル) |
|---|---|
| KRAS G12D | 有効性報告あり |
| KRAS G12V | 有効性報告あり |
| KRAS G12R | 有効性報告あり |
| KRAS G13D | 報告あり |
| KRAS Q61H/L | 報告あり |
| HRAS / NRAS変異 | 前臨床で活性 |
| KRAS野生型増幅 | 報告あり |
このため Revolution Medicines は自社で「RAS multi-selective inhibitor」「pan-KRAS inhibitor」という新クラス名を提唱しています。
第4章 なぜ膵がんが鍵なのか
膵管腺がん(PDAC)は KRAS変異率が極めて高く、報告により概ね 90% 前後とされます。内訳の目安は以下の通り(数値は文献によりばらつきあり、おおよその比率)。
| 変異 | 膵がんでの目安頻度 | 既存G12C阻害薬の適応 |
|---|---|---|
| G12D | 約40%前後 | 不可 |
| G12V | 約30%台 | 不可 |
| G12R | 約15%前後 | 不可 |
| G12C | 約1-2% | 可(ただし極少数) |
| その他 | 残余 | — |
つまり膵がん患者の大半は、G12C阻害薬の恩恵を受けられない。multi-selective でしか実用的にカバーできない構造になっています。膵がんは5年生存率が依然厳しい領域であり、ここに刺さる薬の社会的意義は大きい——だからこそ過度な期待を煽らず、治験結果の積み上げを冷静に見守る必要があります。
第5章 臨床開発の現状(治験段階)
主な進行中試験(報告例)
- RMC-6236-001:第1/1b相、進行固形がん対象
- RASolute 302:第3相、転移性膵がんでの比較試験(報告例)
これらは2024-2025年時点で進行中もしくはデータ蓄積段階で、いずれも未承認です。承認時期・適応・用量は確定情報ではありません。
投与経路と特徴
- 経口投与、1日1回内服を想定
- 共有結合不可逆型ではないため、用量調整が比較的しやすい設計
安全性の暫定像(治験報告ベース、確定ではない)
| カテゴリ | 報告されている事象 |
|---|---|
| 皮膚 | 皮疹、座瘡様皮疹 |
| 消化器 | 悪心、下痢、嘔吐 |
| 肝 | AST/ALT上昇等の肝機能異常 |
| CypA関連懸念 | 免疫抑制等の重篤な特異的副作用は現時点で目立った報告は限定的(要追跡) |
CypAは免疫抑制薬の標的でもあるため、長期投与での免疫系への影響は今後の重要監視点です。
第6章 Revolution Medicines のパイプライン全体像
| 開発コード | 標的 | コンセプト |
|---|---|---|
| RMC-6236(daraxonrasib) | RAS multi-selective(pan-RAS ON) | 広域カバー |
| RMC-6291 | KRAS G12C(ON選択) | G12C専用、ON状態狙い |
| RMC-9805 | KRAS G12D(ON選択) | G12D専用、ON状態狙い |
「広域でまず叩く」「単一変異を深く叩く」を組み合わせる戦略で、将来的には併用も視野にあります。
第7章 競合環境
| 企業 | 開発品(例) | 特徴 |
|---|---|---|
| Mirati(BMS) | adagrasib | G12C OFF(既承認) |
| Amgen | sotorasib | G12C OFF(既承認) |
| Mirati | MRTX1133 | G12D 非共有結合、OFF/ON境界 |
| BridgeBio | BBP-454等 | pan-KRAS 開発中 |
| Revolution Medicines | RMC-6236他 | RAS(ON) multi-selective |
KRAS創薬は2020年代に入って一気にレッドオーシャン化しています。
第8章 薬学的意義——undruggableからmulti-selectiveへ
ダラクソンラシブが象徴するのは、創薬モダリティの進化そのものです。
- 第1世代: 共有結合阻害(covalent inhibitor)→ 単一変異を深く撃つ
- 第2世代: molecular glue / 三者複合体 → 「掴めない標的」に新しい界面を造る
- 構造的源流: シクロスポリン / タクロリムス(数十年来の天然物医薬品化学)
- 拡張性: CypA以外のシャペロン・イムノフィリンを使う molecular glue は今後さらに増える見込み
「undruggable」という言葉が辞書から消える日は遠くないかもしれません。
患者・家族の方への注意
- ダラクソンラシブ(RMC-6236)は2024-2025年時点で日本未承認、世界的にも治験段階です
- 治験参加には適格基準・施設条件があり、主治医・がん専門医との相談が必須
- 既存治療(化学療法、G12C阻害薬該当例の sotorasib / adagrasib 等)の選択肢も同時に検討する必要があります
- ネット上の情報や本記事を根拠に治療判断をせず、必ず担当医師・薬剤師に相談してください
免責事項
本記事は2024-2025年時点で公開されている学術情報・企業発表・学会報告をもとに、薬学的解説を目的として執筆したものです。ダラクソンラシブ(RMC-6236)は本稿執筆時点で日本未承認・治験段階の開発品であり、有効性・安全性・適応・用法用量は確定していません。記載した変異頻度、臨床試験名、副作用プロファイル等は報告ベースの目安であり、最新の公式情報と異なる可能性があります。個別の治療判断は必ず担当医師・薬剤師にご相談ください。本記事は特定の治療を推奨・否定するものではありません。
参考文献
- Canon J, et al. The clinical KRAS(G12C) inhibitor AMG 510 drives anti-tumour immunity. Nature. 2019.
- Hallin J, et al. The KRAS G12C inhibitor MRTX849 provides insight toward therapeutic susceptibility of KRAS-mutant cancers. Cancer Discov. 2020.
- Revolution Medicines, Inc. Corporate presentations and pipeline disclosures (2023-2024).
- Holderfield M, et al. Concurrent inhibition of oncogenic and wild-type RAS-GTP for cancer therapy. Nature. 2024.
- Wang X, et al. Identification of MRTX1133, a Noncovalent, Potent, and Selective KRAS G12D Inhibitor. J Med Chem. 2022.
- Waters AM, Der CJ. KRAS: The Critical Driver and Therapeutic Target for Pancreatic Cancer. Cold Spring Harb Perspect Med. 2018.
- ClinicalTrials.gov: RMC-6236関連試験登録情報
監修: 薬剤師(博士(薬学))