はじめに——咳は「タイプ」と「期間」で薬を変える
咳は、症状名としては一つでも、原因と病態は実に多彩です。風邪のひき始めの軽い咳、痰がからむゴロゴロした咳、夜中に発作的に出る乾いた咳、3週間以上続いて止まらない咳——これらに同じ漢方を使っても効きません。漢方では古くから、咳を「乾いた咳(乾性咳嗽)/湿った咳(湿性咳嗽)」「寒証/熱証」「実証/虚証」で分類し、それぞれに合う方剤を組み立ててきました。
本稿では、咳に用いられる代表的な漢方処方——麦門冬湯・小青竜湯・清肺湯・五虎湯・麻杏甘石湯・神秘湯・半夏厚朴湯・滋陰降火湯・滋陰至宝湯——を、咳のタイプ別に整理して解説します。ただし最初にお伝えしておきたいのは、長引く咳の背後には喘息・結核・肺がん・心不全といった見落としてはならない疾患が隠れていることがあるということ。漢方は補助手段であって、診断の代わりにはなりません。
関連記事として[[kampo-cold-onset-formulas]](風邪のひき始め)、[[kampo-sore-throat-formulas]](のどの痛み)、[[kampo-pattern-jitsu-kyo-cold-heat]](証の基本)も合わせてご覧ください。
咳のタイプを見分ける
4つの基本パターン
| タイプ | 特徴 | 代表的な原因 | 候補となる漢方 |
|---|---|---|---|
| 乾性咳嗽(空咳) | 痰が少ない/コンコン/喉が乾く | 感染後咳嗽、アトピー咳、乾燥 | 麦門冬湯、滋陰降火湯 |
| 湿性咳嗽(痰が多い) | ゴロゴロ/痰が出ると楽になる | 気管支炎、副鼻腔炎後鼻漏 | 清肺湯、小青竜湯 |
| 喘息様咳嗽 | ゼーゼー/息苦しい/夜間悪化 | 気管支喘息、咳喘息 | 麻杏甘石湯、五虎湯、神秘湯 |
| 感染後遷延型 | 風邪は治ったが咳だけ3〜8週続く | ウイルス後の気道過敏性 | 麦門冬湯、滋陰至宝湯 |
寒証か熱証か
- 寒証の咳: 透明〜白色の水っぽい痰、冷えると悪化、舌は淡白
- 熱証の咳: 黄色〜緑色の濃い痰、口渇、舌が赤い、顔のほてり
この区別は処方選択の核心で、寒証に石膏(冷やす生薬)を含む五虎湯や麻杏甘石湯を当てると効きにくいばかりか体を冷やしすぎることがあります。
主要処方の詳細
麦門冬湯(ばくもんどうとう)——乾いた咳の第一選択
構成生薬: 麦門冬・半夏・人参・甘草・粳米(こうべい)・大棗
ねらい: 気道粘膜を潤し、こみあげるような乾いた咳を鎮める。
こんな咳に:
- 痰が少なく、出てもネバついて切れにくい
- のど・口が乾く、声がかすれる
- 話し続けると咳き込む、夜布団に入ると咳が出る
- 風邪のあと2〜3週間、咳だけが残った
証の目安: 中等度〜やや虚証。激しく実証で熱がこもったタイプには合いにくい。
エビデンスの位置づけ: 上気道感染後の咳嗽(ポストインフェクシャス・コフ)に対して、日本国内で複数のランダム化比較試験が行われており、リン酸ジヒドロコデインなどの中枢性鎮咳薬と同等に有効だったとする報告があります。眠気・便秘といった鎮咳薬の副作用が問題になる高齢者や運転業務のある人で、選択肢として挙げられる場面です。
使い方の目安: 1日2〜3回、食前または食間。お湯に溶いてゆっくり飲み下すと、のどへの直接作用も期待できると古来言われます。
小青竜湯(しょうせいりゅうとう)——水様の痰・アレルギー性
構成生薬: 麻黄・芍薬・乾姜・甘草・桂皮・細辛・五味子・半夏
ねらい: 体を温めながら、水のような痰や鼻水を排出する。
こんな咳に:
- サラサラの透明な痰、鼻水も伴う
- 冷気を吸うと咳き込む、朝方ひどい
- アレルギー性鼻炎の合併、咳喘息の寒証タイプ
注意: 麻黄を含むため、後述の麻黄注意事項に該当する人(心疾患、高血圧、甲状腺機能亢進、前立腺肥大、不眠の強い人、高齢者)では慎重投与または不適。
清肺湯(せいはいとう)——粘稠な痰・慢性気管支炎
構成生薬: 黄芩・桔梗・桑白皮・陳皮・茯苓・当帰・麦門冬・天門冬・貝母(ばいも)・杏仁・梔子・五味子・甘草・生姜・大棗・竹茹(ちくじょ)
ねらい: 肺の熱と粘稠な痰を取り除き、気道のクリアランスを助ける。
こんな咳に:
- 黄色〜緑色の粘っこい痰が切れにくい
- 慢性気管支炎、COPDの合併症
- 口が苦い、痰が固まって出てこない感じ
証の目安: 中等度の体力、熱証傾向。麻黄を含まないので比較的高齢者にも使いやすい一方、生薬構成が多く胃が弱い人ではもたれることがあります。
五虎湯(ごことう)——強い喘咳に
構成生薬: 麻黄・杏仁・甘草・石膏・桑白皮
ねらい: 麻杏甘石湯に桑白皮を加えた処方。激しい咳と熱感を強く鎮める。
こんな咳に:
- 体力があり、熱感を伴う激しい咳
- ゼーゼーと息苦しく、顔が赤い
- 小児の喘息様咳嗽(実証タイプ)
証の目安: 強実証。虚弱者・高齢者には麻黄量がきつすぎるため不向き。
麻杏甘石湯(まきょうかんせきとう)——熱証の喘息様咳
構成生薬: 麻黄・杏仁・甘草・石膏
ねらい: 気道の熱を冷ましつつ気管支を広げる。
こんな咳に:
- 喘息発作様、ゼーゼー、口渇、汗が出る
- 黄色い痰、顔のほてり
五虎湯との使い分け: 構成は近いが、五虎湯は桑白皮で鎮咳作用がより強調される。咳の強さで五虎湯、喘鳴の強さで麻杏甘石湯、と整理する流派もありますが厳密ではなく、実地では症状の重心で選びます。
神秘湯(しんぴとう)——気うつを伴う喘息傾向
構成生薬: 麻黄・杏仁・厚朴・陳皮・甘草・柴胡・蘇葉
ねらい: 麻黄系で気管支を広げつつ、柴胡・厚朴・蘇葉でストレスや胸のつかえを取る。
こんな咳に:
- 喘息傾向で、緊張・ストレスで悪化する咳
- 胸が詰まる感じ、ため息
半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)——神経性咳嗽
構成生薬: 半夏・茯苓・厚朴・蘇葉・生姜
ねらい: のどの異物感(咽中炙臠、いんちゅうしゃれん)を取る代表処方。
こんな咳に:
- 検査異常がないが、のどが詰まって咳払いを繰り返す
- ストレスで悪化、抑うつ・不安傾向
- 心因性咳嗽、習慣性の咳払い
滋陰降火湯・滋陰至宝湯——慢性虚証の咳
- 滋陰降火湯: 体液(陰)の不足によるほてり・寝汗・空咳。痩せ型で口渇のある高齢者の長引く咳に。
- 滋陰至宝湯: 慢性的な微熱・倦怠感・夜間の咳を伴う虚弱者向け。結核後遺症の咳に古くから使われた処方。
ただしこれらの「虚証長期咳」処方を選ぶ前に、必ず器質的疾患の除外を済ませてください。
早見表——タイプ別第一選択
| 状況 | 第一候補 | 第二候補 |
|---|---|---|
| 風邪後の長引く乾いた咳 | 麦門冬湯 | 滋陰至宝湯 |
| 透明な水様痰・鼻水合併 | 小青竜湯 | — |
| 黄色い粘い痰・慢性気管支炎 | 清肺湯 | — |
| 激しい喘咳・実証 | 五虎湯 | 麻杏甘石湯 |
| 喘鳴主体・熱証 | 麻杏甘石湯 | 五虎湯 |
| ストレス絡みの喘息様 | 神秘湯 | 半夏厚朴湯 |
| のどの詰まり・心因性 | 半夏厚朴湯 | — |
| 痩せ型高齢者の空咳 | 滋陰降火湯 | 麦門冬湯 |
安全性——必ず押さえるべき注意点
麻黄含有処方の注意
小青竜湯・五虎湯・麻杏甘石湯・神秘湯はいずれも麻黄(成分エフェドリン類)を含みます。
- 動悸・血圧上昇・不眠・排尿障害・発汗過多のリスク
- 禁忌・慎重投与の対象: 重症高血圧、虚血性心疾患、甲状腺機能亢進症、前立腺肥大、緑内障、高齢者
- 他の交感神経刺激薬(一部の総合感冒薬、気管支拡張薬)との併用で作用が重なる
- スポーツ選手はドーピング規定に注意
甘草含有処方の注意
ほぼすべての咳の漢方が甘草を含みます。長期・多剤併用で偽アルドステロン症(低カリウム血症、浮腫、血圧上昇、ミオパチー)が起こりえます。複数の漢方や甘草含有市販薬を重ねないこと、利尿薬使用中の高齢者は特に慎重に。
西洋薬との併用
- 抗ヒスタミン薬・吸入ステロイド・気管支拡張薬との併用は基本的に問題なく、むしろ補完的に働きます。
- 中枢性鎮咳薬(ジヒドロコデイン等)との併用は可ですが、麦門冬湯で代替できる場面では眠気・便秘回避のメリットがあります。
- 喘息発作には吸入β2刺激薬・吸入ステロイドが第一選択。漢方は安定期の補助です。発作中に漢方だけで粘ることは絶対に避けてください。
受診すべきサイン——見落としを防ぐ
以下に当てはまる場合、漢方を試す前に医療機関を受診してください。
- 咳が3週間以上続く(8週以上は慢性咳嗽として精査対象)
- 血痰・喀血がある
- 発熱が続く、体重が減ってきた
- 夜間に呼吸困難で目が覚める、横になれない(心不全の可能性)
- 喘鳴が強い、SpO2低下、会話困難
- 喫煙歴が長い、家族に結核患者がいる
- 海外渡航後の咳
胸部X線・CT・喀痰検査で結核・肺がん・間質性肺炎・心不全を除外することは漢方選択の前提です。
妊婦・小児・高齢者
- 妊婦: 麻黄含有処方は原則避ける。麦門冬湯・半夏厚朴湯は比較的使われますが、自己判断せず産科医・薬剤師に相談を。
- 小児: 五虎湯・麦門冬湯は小児の咳に古くから使われますが、用量設定は体重・年齢で異なります。市販エキス顆粒の小児量は添付文書を必ず確認。
- 高齢者: 麻黄系は慎重。清肺湯・麦門冬湯・滋陰至宝湯のような麻黄を含まない処方を優先。多剤併用での甘草重複に注意。
まとめ
- 咳の漢方選択は「乾/湿」「寒/熱」「実/虚」「経過の長さ」で組み立てる
- 風邪後の長引く空咳には麦門冬湯——RCTのエビデンスもある第一候補
- 水様痰・アレルギー性には小青竜湯、粘稠痰の慢性気管支炎には清肺湯
- 実証の激しい喘咳に五虎湯・麻杏甘石湯、ストレス絡みに神秘湯・半夏厚朴湯
- 麻黄・甘草の副作用、麻黄系の禁忌・慎重投与は必ず確認
- 3週間以上の咳、血痰、夜間呼吸困難は受診サイン——漢方より先に診断を
漢方は咳のコントロールに大きな助けになりますが、個別の処方選択は体質・併用薬・既往歴に左右されます。必ず医師または薬剤師に相談のうえ使用してください。
免責事項
本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の診断・治療を代替するものではありません。記載内容は執筆時点での標準的な知見に基づきますが、薬剤の使用にあたっては必ず医師・薬剤師にご相談ください。症状が長引く場合、悪化する場合、また血痰・呼吸困難・高熱などの危険徴候がある場合は速やかに医療機関を受診してください。
参考文献
- 日本東洋医学会編『専門医のための漢方医学テキスト』南江堂
- 『新版 漢方医学』日本漢方医学教育協議会
- 日本呼吸器学会『咳嗽・喀痰の診療ガイドライン2019』
- 厚生労働省『重篤副作用疾患別対応マニュアル 偽アルドステロン症』
- 各種医療用漢方製剤添付文書(株式会社ツムラ/クラシエ薬品ほか)
- 麦門冬湯の感染後咳嗽に対する臨床研究に関する複数の国内報告
監修: 薬剤師(博士(薬学))