膵がん(膵管腺がん、PDAC: pancreatic ductal adenocarcinoma)は、長らく「治療が最も難しいがんのひとつ」と言われ続けてきました。診断時にはすでに進行していることが多く、手術可能な患者さんは全体の2割程度にとどまります。そのなかで、Revolution Medicines社が開発する**ダラクソンラシブ(daraxonrasib、開発コード RMC-6236)**という新しい分子標的薬が、既治療の膵がん患者さんに対して従来にない奏効データを示しています。
本記事では、博士(薬学)の薬剤師の立場から、この薬剤のデータを「希望」と「限界」の両面から、できるかぎり冷静にお伝えします。患者さんとご家族の意思決定の一助になれば幸いです。
なお、ダラクソンラシブ(RMC-6236)は 2024-2025年時点で日本未承認・治験段階の薬剤です。本記事は治療を推奨するものではなく、最終的な判断は必ず主治医とご相談ください。
膵がんの現状——なぜ「壁」と呼ばれるのか
5年生存率の数字
国立がん研究センターの院内がん登録によれば、膵がんの5年相対生存率は全病期で約12%前後で、固形がんのなかで最も低い水準です。
| 病期 | 5年生存率の目安 |
|---|---|
| 限局(手術可能) | 約40%前後 |
| 領域(局所進行) | 約10%台 |
| 遠隔転移あり | 数%(1桁) |
※数字は登録集計年度・施設により幅があります。あくまで目安としてご覧ください。
標準治療の現在地
進行・転移性膵がんの一次化学療法は、長年大きく2レジメンが軸です。
- mFOLFIRINOX:オキサリプラチン+イリノテカン+ロイコボリン+5-FU の多剤併用
- gemcitabine + nab-paclitaxel:ゲムシタビンとアルブミン結合パクリタキセル併用
近年はNALIRIFOX(リポソーマルイリノテカン含むレジメン)も選択肢に加わりました。これらの登場で全生存期間(OS)の中央値は数か月伸びましたが、1年以上効き続ける症例は限られるのが実情です。
二次治療以降の選択肢はさらに乏しく、ここに新しい治療選択肢を作ることが大きな課題でした。
KRAS変異——膵がんのアキレス腱
PDACの分子的特徴の中心にあるのが KRAS遺伝子変異です。
変異の頻度(PDAC)
| 変異タイプ | おおよその頻度 |
|---|---|
| KRAS変異全体 | 90%以上 |
| G12D | 約41% |
| G12V | 約35% |
| G12R | 約17% |
| その他(G12C等) | 残り |
※集計報告により若干前後します。
長年、KRASは「ドラッガブルではない(薬で叩けない)標的」とされてきました。2021年にソトラシブ(CodeBreaK試験)、続いてアダグラシブ(KRYSTAL-1試験)がKRAS G12C変異を標的とする初の薬として承認されましたが、PDACで多いのはG12CではなくG12D・G12V・G12Rであり、これらに対する薬剤は実用化されていませんでした。
ダラクソンラシブ(RMC-6236)とは
ダラクソンラシブは「RAS(ON)阻害薬」と呼ばれる新しいクラスの経口薬で、活性型(GTP結合型)RASに作用し、シクロフィリンAとの三者複合体を介して下流シグナルを遮断する設計です。**G12D、G12V、G12Rを含む複数のKRAS変異を一剤でカバーしうる「マルチセレクティブ」**な作用が特徴とされ、これがPDACで特に注目される理由です。
第1相 RMC-6236-001試験のデータ
主な報告内容
第1相試験(NCT05379985)の既治療PDACコホートのデータが、ESMO 2024 などの学会で報告されています(査読論文化の状況は変動するため、最新の論文・学会発表をご確認ください)。
報告されている数値の概要は以下の通りです。
| 項目 | 既治療PDACでの報告例 |
|---|---|
| 対象 | 1ライン以上の前治療歴のある進行PDAC |
| 客観的奏効率(ORR) | 約20-29%(用量別) |
| 無増悪生存期間(PFS)中央値 | 約8.1か月 |
| 全生存期間(OS)中央値 | 報告時点で追跡継続中 |
| 主な有害事象 | 皮疹、下痢、口内炎などGrade 1-2が中心 |
| Grade 3以上の重篤例 | 限定的、管理可能と報告 |
数字の意味を冷静に
二次治療以降のPDACでは、これまでORRが1桁台にとどまることが珍しくありませんでした。PFS中央値も2-4か月程度の報告が多いなかで、ORR 20%超・PFS 8か月台は、率直に言って従来の枠を超える数字です。
ただし注意点があります。
- ORRは「腫瘍縮小割合」であって「治癒率」ではない
- PFSが伸びても、いずれ進行(耐性化)することがほとんど
- 第1相は対象者数が限られ、選ばれた患者集団でのデータである点を割り引いて読む必要がある
非小細胞肺がん(NSCLC)でも報告
ダラクソンラシブは膵がんだけでなく、**KRAS G12変異陽性の非小細胞肺がん(NSCLC)**でも有効性が報告されています。複数の臓器で幅広いKRAS変異に効きうるという点が、この薬剤の戦略的価値を高めています。
第3相 RASolute試験——本当の答えはここで出る
第1相のデータは「期待」を支えますが、最終的に標準治療となるかは第3相試験の結果次第です。
RASolute 302試験(NCT06625320)
| 項目 | 概要 |
|---|---|
| 試験デザイン | グローバル多施設、ランダム化、オープンラベル |
| 対象 | 既治療の進行・転移性PDAC |
| 介入 | ダラクソンラシブ単剤 |
| 対照 | 主治医選択の標準化学療法 |
| 主要評価項目 | OS、PFS など |
| 状況 | 患者組入れ中(2024-2025年時点) |
第3相は「既存の標準治療と直接戦って勝てるか」を問うフェーズです。ここで陽性結果が出てはじめて、世界の標準治療が動きます。
希望——「治らない」と言われた病気で
患者さんとご家族の立場で言えば、これまでの膵がん治療は「効いている間はいいが、効かなくなったあとの選択肢が極端に少ない」という現実がありました。ダラクソンラシブが第3相で結果を出せれば、
- 二次治療以降の標準が変わる可能性
- KRAS変異に応じた個別化医療がPDACでも本格化する可能性
- 将来的には一次治療(化学療法との併用など)への展開
といった広がりが期待されます。これは、現場で患者さんと向き合ってきた身として、率直に「久しぶりに大きなニュース」と感じる進歩です。
限界——誠実にお伝えしたいこと
一方で、過度な期待は患者さんとご家族をかえって苦しめます。冷静に整理しておきます。
1. 全員に効くわけではない
ORR 20-29%という数字は、裏を返せば7-8割の患者さんでは明らかな腫瘍縮小は得られていないことを意味します。病勢安定(SD)を含めるとより多くの方に何らかの効果がありますが、効果の有無・程度は個人差が大きいのが現実です。
2. 多くの場合、いずれ耐性化する
分子標的薬の宿命として、効いた症例でも多くは1-2年以内に耐性が出現します。現時点では「根治させる薬ではなく、効いている期間を延ばす薬」と位置づけるのが正確です。慢性疾患のコントロールに近いイメージです。
3. 副作用ゼロではない
第1相では皮疹・下痢などGrade 1-2が中心と報告されていますが、ゼロではありません。長期投与での皮膚症状や消化器症状の管理は、実臨床では重要な課題になります。
4. 第3相の結果次第
繰り返しになりますが、第1相の数字は「希望の根拠」ではあっても「承認の根拠」ではありません。RASolute試験の結果が出るまで、世界的な標準治療は変わりません。
日本での開発・アクセスの現実
承認状況
2024-2025年時点で、ダラクソンラシブ(RMC-6236)は日本・米国・欧州いずれでも未承認で、治験段階にあります。
日本でのアクセス経路
| 経路 | 概要 | 注意点 |
|---|---|---|
| 国内治験への参加 | jRCT(臨床研究等提出・公開システム)等で実施情報を確認 | 適格基準は厳しい。主治医経由が基本 |
| 海外治験への渡航参加 | clinicaltrials.gov で世界の試験を検索可能 | 渡航・滞在費・通訳・現地医療体制など負担大 |
| 拡大アクセス/コンパッショネート使用 | 個別判断、要件あり | 国内では極めて限定的 |
| 個人輸入・有償提供 | 未承認薬の個人輸入は原則推奨されない | 安全性・偽薬・法的・費用面のリスク |
「お金を払えば手に入る薬」ではないこと、そして安易な個人輸入は推奨できないことを率直にお伝えしておきます。
治験参加までのステップ
- 主治医に相談:自分の病期・全身状態・遺伝子変異プロファイルが治験対象になりうるか確認
- 遺伝子パネル検査(未実施なら):保険適用のがん遺伝子パネル検査でKRAS変異の有無・タイプを確認
- 治験実施施設への紹介:国立がん研究センター中央病院・東病院、大学病院など膵がん治験を行う施設へ
- 治験コーディネーター(CRC)面談:試験の説明、同意取得、適格基準の事前確認
- スクリーニング検査:画像、血液、必要に応じて腫瘍検体の再評価
- 適格判定 → 登録:基準を満たせば治療開始
途中で適格外と判定されることも珍しくありません。「申し込めば必ず受けられる」ものではない点はご理解ください。
患者さん・ご家族のためのリソース
- 国立がん研究センター中央病院・東病院 臨床試験情報ページ
- がん情報サービス(国立がん研究センター運営):膵がんの基礎情報・標準治療
- jRCT(臨床研究等提出・公開システム):国内で実施中の治験を検索
- clinicaltrials.gov:世界中の臨床試験データベース
- **パンキャンジャパン(Pancreatic Cancer Action Network Japan)**等の患者会:体験共有、最新情報、医療相談
迷ったら、まずは主治医と、可能であればがん相談支援センターにご相談ください。多くの拠点病院に無料で相談できる窓口があります。
まとめ——本物の進歩、しかし奇跡薬ではない
| ポイント | 整理 |
|---|---|
| 膵がんの予後 | 5年生存率約12%、進行例は1桁 |
| KRAS変異 | PDACの90%以上、G12D/V/Rが中心 |
| ダラクソンラシブ第1相 | 既治療PDACでORR 20-29%、PFS約8.1か月 |
| 安全性 | 皮疹・下痢などGrade 1-2が中心、管理可能と報告 |
| 第3相 | RASolute試験進行中、標準治療と直接比較 |
| 日本での状況 | 未承認・治験段階、主治医経由のアクセスが基本 |
| 位置づけ | 「効いている期間を延ばす薬」、根治薬ではない |
ダラクソンラシブは、長年動かなかった膵がん治療の壁に、確かな一撃を入れた薬剤だと考えます。同時に、全員に効くわけではなく、効いてもいずれ耐性化するという限界もあります。希望は本物ですが、奇跡を約束する薬ではありません。
それでも、5年生存12%という数字を少しでも押し上げる可能性のある薬剤が、現実のデータとともに登場したという事実は、患者さんとご家族にとって、また現場の医療者にとっても、大きな意味を持ちます。
最終的な治療方針は、ご自身の病状・全身状態・価値観をふまえて、主治医・薬剤師・ご家族と十分に話し合って決めてください。本記事がその対話の材料のひとつになれば幸いです。
免責事項
本記事は2024-2025年時点で公開されている学会発表・登録情報・公開資料をもとに、一般的な情報提供を目的として執筆したものです。ダラクソンラシブ(RMC-6236)は本記事執筆時点で日本未承認・治験段階であり、特定の治療法・薬剤の使用を推奨するものではありません。臨床試験データは公表時期や解析時点により更新されます。記載した数値(ORR、PFS、変異頻度、生存率等)は報告例・目安であり、最新の論文・学会発表・公的情報を必ずご確認ください。個別の治療判断は、必ず主治医および医療チームにご相談ください。
参考文献
- 国立がん研究センター がん情報サービス「膵臓がん」統計・解説ページ
- 国立がん研究センター 院内がん登録 生存率集計
- Revolution Medicines, Inc. 公式パイプライン情報および投資家向け資料
- ESMO Congress 2024 抄録・発表資料(RMC-6236-001試験報告)
- ClinicalTrials.gov: NCT05379985(RMC-6236-001試験)
- ClinicalTrials.gov: NCT06624320/NCT06625320(RASolute 302試験)※識別番号は最新情報をご確認ください
- jRCT(臨床研究等提出・公開システム)
- Hong DS, et al. KRAS G12C inhibition with sotorasib in advanced solid tumors. NEJM, 2020.(CodeBreaK 100関連)
- Jänne PA, et al. Adagrasib in non-small cell lung cancer with KRAS G12C mutation. NEJM, 2022.(KRYSTAL-1関連)
- 日本膵臓学会「膵癌診療ガイドライン」最新版
監修: 薬剤師(博士(薬学))