まず、気圧の話を片付けます
「台風の気圧低下で降圧薬が効きすぎる」という説明を見かけますが、これを裏づける確立した知見はありません。
地上で経験する気圧の変化は、平時1013 hPaに対して強い台風の中心付近でも930〜960 hPa程度、つまり5〜8%程度です。飛行機の客室内(約750〜800 hPa相当)のほうがはるかに大きな減圧ですが、機内で降圧薬の用量を変える指示は出ません。
一方で、「夏の渡航中に血圧の薬でふらつく」ことは実際に起こります。原因は気圧ではなく暑さと脱水です。ここからが本題です。
夏は血圧が下がりやすい
血圧には季節変動があり、夏は低め・冬は高めに出ることが知られています。仕組みは単純です。
- 暑さで皮膚の血管が広がる(放熱のため)→ 血管の抵抗が下がる
- 汗で体の水分と塩分が失われる → 循環する血液量が減る
この状態に、血圧を下げる薬が普段どおり効いているのが夏の渡航です。日本の冬に合わせて調整された用量のまま熱帯へ行くと、下がりすぎる方向に傾くことがあります。
特に意識したい薬
| 分類 | 例 | 夏の渡航で起きやすいこと |
|---|---|---|
| 利尿薬 | ヒドロクロロチアジド、フロセミド | 発汗と重なって脱水・電解質の乱れに傾きやすい |
| ACE阻害薬・ARB | エナラプリル、ロサルタン、オルメサルタン | 脱水時は腎臓への負担が増える方向に働く |
| α遮断薬を含む薬 | ドキサゾシン等 | 立ち上がったときの血圧低下(起立性低血圧)が出やすい |
| SGLT2阻害薬(糖尿病薬) | エンパグリフロジン等 | 尿量が増える薬なので、暑さと重なると脱水しやすい |
ふらつき・立ちくらみが出たときに考えること
暑い国での移動中に、立ち上がった瞬間のふらつき、目の前が暗くなる、だるさが出ることがあります。
保管温度は実際に効いてくる
暑い国では保管が現実的な問題になります。
- 常温(15〜25℃)保管の薬を、車内・直射日光の当たる窓際・屋外のバッグに置かない
- 車内は短時間で50℃を超えます。錠剤の吸湿・変色、軟膏や坐薬の軟化、貼付剤の粘着不良につながります
- PTPシートから出して小分けにしない(湿気対策として意味があります)
- 冷蔵が必要な薬(インスリン等)は保冷ポーチを用意し、停電時の代替も考えておく
渡航前チェックリスト
- 常用薬を渡航日数+7〜10日分(台風での足止めを前提にする)
- 手荷物と預け荷物に分散させる
- 薬の一覧(一般名・含量・1日量)を英文で用意する
- 家庭用血圧計か、測定値を残せるスマホのメモを用意する
- 「夏に熱帯へ行く」ことを出発前に主治医へ伝え、測定の目安を聞いておく
- 経口補水液(粉末なら軽い)を持つ
- 帰国後、異常な数値や症状があれば主治医に報告する
現地の薬局で使えるフレーズ
I take medication for high blood pressure.
I feel dizzy when I stand up. It is very hot here.
Here is my medication list.
(血圧の薬を飲んでいます。立ち上がるとめまいがします。とても暑いです。
これが薬の一覧です)
薬剤師メモ: この記事には以前、「気圧低下で降圧薬の血中濃度が上昇する」「医学的に証明された現象である」という記述がありました。根拠がなく、読者に用量の調整を意識させる内容だったため全面的に書き替えました。「航空機内の気圧変化で結晶化する」という記述も誤りです(問題になるのは気圧ではなく温度と湿度です)。
夏の渡航で降圧薬が問題になるのは、気圧ではなく暑さ・脱水・保管温度です。そして対処はいつも同じで、測った数字を持って医師に相談することです。気圧計を見る必要はありません。