パナマ運河を止めたのは、岩ではなく蚊だった
1880年代、フランスの事業家レセップス(スエズ運河の成功者)はパナマ地峡に運河を掘ろうとしました。しかし工事は十数年で頓挫します。原因は地質でも資金でもなく、黄熱病とマラリアによる労働者の大量死でした。当時は「悪い空気(瘴気)が病気を生む」と信じられており、病院のベッドの脚を水を張った皿に浸けてアリを防ぐ——つまり蚊の繁殖場所を自ら院内に作っていたという逸話も残っています。
蚊が原因だと分かってから、工事は再開した
20世紀初頭、キューバでの研究により黄熱がネッタイシマカによって媒介されることが示され、米軍医ウィリアム・ゴーガスが徹底した蚊対策(溜まり水の除去、網戸、燻蒸)を運河地帯で実施します。結果、黄熱はほぼ制圧され、運河は1914年に開通しました。公衆衛生がインフラを完成させた、渡航医学史上もっとも劇的な事例です。
ワクチンは1937年に生まれた
その後、マックス・タイラーらが弱毒生ワクチン17D株を開発(1937年)し、この業績で1951年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。現在世界で使われている黄熱ワクチンは、基本的にこの17D系統の子孫です。90年近く現役という、ワクチン史でも稀有な存在です。
渡航者にとっての実務ポイント
| 項目 | ポイント |
|---|---|
| 対象地域 | アフリカ中央部・南米熱帯域の一部 |
| 証明書の名称 | 国際予防接種証明書(通称イエローカード) |
| 有効になる時期 | 接種の10日後から |
| 有効期間 | WHOは2016年以降、原則生涯有効とする扱い |
| 接種できる場所 | 日本では検疫所など指定された医療機関のみ |
「旅行の直前にクリニックで」が通じないのが黄熱ワクチンの特徴です。接種機関が限られ予約も必要なため、出発の1か月以上前から動くのが現実的です。乗継ぎだけでも、経由国によっては証明書の提示を求められる場合があります。
薬剤師メモ: 黄熱ワクチンは抗マラリア薬(アトバコン・プログアニル、ドキシサイクリンなど)との併用で問題になる報告は一般的にありません。むしろ注意したいのは他の生ワクチンとのスケジュールで、同時接種でなければ一定の間隔を空ける考え方が取られます。接種予定が複数ある場合は、お薬手帳と渡航日程を持って早めに相談するのが確実です。
現地の医療機関で状況を伝えるときは、I have a yellow fever vaccination certificate.(アイ ハヴ ア イエロー フィーヴァー ヴァクシネーション サーティフィケイト) が使えます。カードは原本を携帯し、スマートフォンでの撮影控えも用意しておくと安心です。
運河を掘り進めたのはショベルですが、工事を完成させたのは蚊帳と溜まり水の排除でした。渡航前の一本の注射が、100年前の教訓の延長線上にあると考えると、予約の手間も少し軽く感じられるかもしれません。